これはパイプではない 『LEGO® ムービー』

LEGO® ムービー』鑑賞。

※この映画は構造そのものが物語や演出と直結しており、作品について語ることがすなわちオチを語ることになってしまう作品です。 まず鑑賞してからお読みください。



本作とは全く関係が無いけれど、レゴで作られたホワイト・ストライプスのPV。監督はミシェル・ゴンドリー


ニュースなどで「レゴで作られた2メートルのガンダム」だとか「100/1で再現された東京の街」というたぐいのモノを見ると、強迫観念的で偏執な緻密さを体現する塑像に息の詰まる閉そく感を覚え、破壊欲求を刺激されてしまう。そしてパッと頭に思い浮かぶのは手間暇かけて作られたモデルに向かってダイブをする自分の姿だ。
知っての通りレゴ・ブロックは小学校低学年程度の年少者向け知育玩具という側面を持ちながら、上記したような精密で巨大な塑像を作れもする。様々な形のブロックがザラザラとバケツに入れられた昔ながらのセットもあるが、店頭で目につくのは「街の風景のシリーズ」「中世ファンタジー世界のシリーズ」といった風に、特定のモデルが作れるセット売りだ。
LEGO® ムービー』では「レゴ」というおもちゃの持つ2つの特性が作品の軸となるよう脚本に落とし込まれている。セット売りに代表される「小さな世界の再現性」と、バケツ売りに代表される「際限なく自由なプレイビリティ」である。過去にもスター・ウォーズバットマンをレゴで表現した映像作品が作られていたが、それらはあくまでキャラクターが軸であり、単にレゴのミニ・フィギュアでスター・ウォーズっぽい、あるいはバットマンっぽい物語が語られていただけ。あくまで「レゴ」が主役となっているのが本作の白眉となっている。
本作に登場する「人物」の稼働部は足、腕の付け根とクビが回転する程度。建造物はもちろん、海や雲、炎やレーザー光線まで実在するレゴのブロックのみで表現されている。それらを捉えるカメラは焦点の合った対象物以外ボヤけており、人物も建造物もあくまで「レゴサイズ」であることが、ことさら強調されている。その演出が前フリとなった大オチは、実は劇中で行われていたのはお父さんのレゴコレクションで遊ぶ息子の想像世界だった! となる。
シャマランが『レディ・イン・ザ・ウォーター』で、世界全体の危機を一棟のマンションだけに象徴させて描いたのに対して、本作ではレゴ世界はあくまでレゴ世界であって何の象徴性も無く、レゴで作られたものはレゴそのものであると描く。
劇中で、ドラゴンやロボットが縦横無尽に飛び回るのも、クレーンが合体してロボットになるのも「レゴだから」だ。『ロード・オブ・ザ・リング』のガンダルフと『ハリー・ポッター』のダンブルドア校長が共演するのも、スター・ウォーズのミレニアム・ファルコン号が登場するのも*1、スーパーマングリーン・ランタン、ワンダー・ウーマンら、DCコミック勢が登場し、バットマンと作業員が冒険を共にするのも、同じ規格で作られた「レゴだから」。
デタラメな共演や造形は、あくまでレゴ世界という極めて限定された世界でのみの話だと念を押される。まるで、心霊スポットに「これは柳です」とカンバンを立てていくような、強迫観念的で偏執な緻密さを体現する展開に息の詰まる閉そく感を覚えてしまう。
ボクは鑑賞中ずっとスクリーンの向こうの世界にダイブして、完成したモデルをバラバラに破壊することを妄想していた。

*1:スター・ウォーズは20世紀フォックスからワーナーに引き取られて共演が可能になっている